2017年6月11日日曜日

中﨑大磯町長の民主主義の理解度の低さに改めてボーゼン

 3月議会の私の町民の参画と協働のプロセスの検証を行った町長の諮問機関、「町民委員会」の答申に触れた一般質問の際、中﨑町長が突然怒り出しました。答申に具体的なルール作りなんかは盛り込まれませんよ、と指摘しただけなのですが「会長に対し失礼ですよ!」と何度も叫ばれました。自身のブログに「瞬間湯沸かし器」を自認しておられたので、よくわかりました。職員はたいへんだろうな・・・とも思いました。

 さて、今回怒りを表したのは、渡辺議員の質問の時です。繰り返し町民参加が不十分、と意見する議員に対し、「私は選ばれているんです!」といきり立つ場面では、思わず「渡辺さんも選ばれていますよ!」とヤジを飛ばしました。町長は町の代表だから何でもできる(議会の可決がなければできないと注釈がありましたが、「計画」はまちづくり基本計画以外は町長が決めます。もっと言えばパブリックコメントの町民参加の手続きがありますが、懸念を示したり、違う記述を求めると無視されます)、あるいはしなければならないとの考えは間違いです。「中﨑久雄」でなく、別の候補者に投票した有権者は何千人もいますし、棄権や投票所にいかなかった有権者も何千人もいます。この事実を考えないで「町長ですから」と胸を張るのは問題です。意見の相違があって当たり前。共謀罪ではありませんが、権力に逆らうことが問題にできない世の中は「独裁国家」「全体主義」と呼ばれています・・・
 「オリンピック町長と言われてきた町長は実現をしなかったから」という趣旨の発言もありましたが、私は「町民の望まないことを実現してしまった町長に失望、消去法で新しい町長に望みを託す」繰り返しをしてきた大磯町、と考えています。
 あらためて「民主主義とは」を世界規模で考える時代に突入したと思います。イギリスのEU離脱のあとの総選挙の結果をみても、そう思います。意見、主張が2極化する事態を避ける知恵が求められているのではないか、とも。