2017年8月11日金曜日

明治150年で大磯町の滄浪閣中心に脚光を浴びる(その1)

 7月11日開催の総務建設常任委員会の議題は「大磯港みなとオアシス推進事業」。議題の「その他」で当日配られた資料は「明治期の立憲政治の確立等に貢献した先人の偉業等を次世代に遺す取組について(報告書)」です。(8月10日の協議会では報告なし)
 副町長が「来年は明治150年にあたる年で、内閣府に推進室が置かれている。今日は報告として資料をお渡しする。先週HPにアップされたものである。」と説明。(内閣府ではなく、内閣官房だと思いますが…)
 急いで目を通し、特に質問したいと「町との行き来はあったのか」と聞いたところ、副町長が「行き来というと、資料提供をした。報告書は150ページ、資料を入れるとかなりのボリューム(300ページもの、とその時は思いましたが、実際は50ページ)があり、今日の資料はごく一部。HPにはアップされている。」と答えがありました。続いて町長が「町に情報があれば、議会にお知らせする。」と発言。
 午後、じっくり読み込むと同時にネット検索をしてびっくり!
○報告書を作った「…取組に関する検討会」は今年4月6日に菅官房長官の決裁で設置、第1回は4月13日、最後の会合は6月15日と、短期間の4回の会合で報告書ができあがっています。
明治期に立憲政治?と訝しく思いますし、業績等を次世代に遺す(この漢字も意味深長)ことについても、受け止め方や評価はさまざまでしょう。
○内容は山口、鹿児島、高知、那須、日光、函館などをとりあげていますが、私には調査研究というレベルではないように思います。特に大磯町の「滄浪閣」「旧池田成彬邸」「旧陸奥宗光邸」「旧大隈重信邸」にスポットライトが当てられていて、「滄浪閣を中心として、歩いて移動できる範囲内に集中して残っていることは稀有なことであり、これほどの建物が現存する「場」は他に例を見ないと言っても過言ではない。建物群の保存を急がなければ・・・」などと書かれています。今後の展開、町への影響と町長のかかわり方に注目!